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福岡高等裁判所 昭和41年(う)333号 判決

被告人 松本彪

弁護人 斉藤鳩彦

検察官 片山恒

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未决勾留日数中一〇〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人斉藤鳩彦提出の控訴趣意書及び同補充書記載のとおりであつて、これに対する当裁判所の判断はつぎに示すとおりである。

(一)  事実誤認の点について

所論は、要するに本件被害者川北あや子は心神喪失の状態にあつたものでなく、かりに心神喪失の状態にあつたとしても被告人は当時右事情を知らず心神喪失に乗じて姦淫したものではないから、被告人の本件所為を準強姦と認定した原判決は事実を誤認したものであるというのである。

よつて審按するのに、原判決の挙示引用にかかる証拠によれば川北あや子は昭和二六年三月一日生れで、本件当時まだ満一四才八ケ月であり、当時八代市立第一中学校第三学年特殊学級に在学中であつたこと、同女の鈴木ビネー式(個人)による知能指数は五二、精神年令は六年一〇月、生活年令は一三年三月であること、同女は常に不安定な精神状態で、行動に統一性がなく、判断力もなく、衝動的で、生活にしまりがなく、自主性をかき、他人にだまされ易い性格であること、同女の初潮は昭和四〇年四月頃で、性本能は発達していてもまだ正常な性知識をもたず、性的羞恥心もなかつたこと、当時同女は家の者を嫌つていて、同年二月頃から本件に至るまで何回も被告人と会つており、被告人になついていたこと、被告人は同女の言動から頭のおかしいことを知つていたことが認められ、以上を綜合すると、川北あや子は当時正常な判断力を有せず、特に外部からの影響を蒙り易い強度の精神薄弱(痴愚)の状態にあつたものというべきであり、同女が本件姦淫について通常の社会生活上信頼され得る同意を与えたとは到底認められないのであつて、被告人もそのことを当然知つていたと認められる。そうすると、被告人が右認定のような精神状態にある川北あや子を姦淫した本件所為は、まさに刑法第一七八条にいう人の心神喪失に乗じて姦淫したものと解するのが相当であり、これと同旨に出た原判決に所論のような事実誤認の違法はない。論旨は理由がない。

(二)  量刑不当の点について

所論は、要するに原判決の刑の量定は重きに過ぎ不当であるというのである。

しかし、記録並びに証拠に現われている本件犯罪の動機、態様、罪質、被害の状況、犯罪後の情状、被告人の性格、素行、年令、経歴、前科歴その他諸般の情状にてらし、所論の被告人に有利な諸点を参酌考量しても、原判決の刑の量定は相当であつて、所論のように重きに過ぎるものとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却し、未決勾留日数の本刑算入につき刑法第二一条、訴訟費用の負担免除の点につき刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柳原幸雄 裁判官 至勢忠一 裁判官 武智保之助)

弁護人斉藤鳩彦の控訴趣意

川北あや子は心神喪失状態にあつたとの原審認定は誤つている。

(一) 原判決は川北あや子が「精神薄弱で心神喪失状態にあつた」と認定しているが、準強姦の要件としての婦女の心神喪失とは抗拒不能と同列に論ぜられる程の正常な判断能力の欠除を言うのであつて、性交についての婦女の任意性が認められる場合にまでその任意性の基礎となつている判断の客観的合理性がないことを根拠として心神喪失と認めうるものではない。

なぜなら、強姦、準強姦罪は公然わいせつ、わいせつ文書頒布、重婚等が善良な風俗に対する犯罪であるのと違つて、婦女の性的自由に対する犯罪だからである。

もつとも刑法は一三才未満の婦女に対する姦淫行為については、たとえ暴行又は脅迫によらない場合でも、これを強姦罪としているので、右の任意性は少くとも一三才以上の婦女が通常持ちうる判断能力を基礎とするべきであるということが言えそうである。しかし、性に関して何をもつて一三才以上の判断能力と言うかは極めて困難である。なぜならこの一三才という基準は判断能力ではなく、初潮という肉体的成熟を基礎としているからである。従つて、準強姦にいう心神喪失とは性交に関して婦女が任意性(自発性、積極性)を欠除しているにもかかわらず、性交を拒絶することもできないという精神状態を意味するものとするのが、この犯罪の特質にもつとも適合している。

(二) ところが本件の場合、川北あや子の性交の任意性は到底否定し難いものがある。

(1)  まず被告人宅への出入りについては、司法警察員作成の捜査報告書に「川北安喜の話では、川北あや子は足が早く今までに松本彪方にあや子がいる時、連れに行くが何時も逃げられていたとのことであつた」とあるように、川北あや子が父親を嫌つて好んで被告人宅に来ていたことが認められる。被告人が「事件当日川北は被告人宅に泊りたいと言つて進んでふとんに寝た」旨一貫して供述していることは充分信用性がある。

(2)  また、矢勝武典の検察官に対する供述調書によると、当日の模様は「昨年一一月頃……それは薄暗くなつてから私が自宅に帰つて見ると松本の部屋から若い女の声が聞えましたので……電気が消してありました。私の聞いた声はふざける様な声でしたので、松本が若い女を連れ込んでふざけているなあと思いました」とあり、「若い女が男とたわむれている」と感ぜられるような状態つまり楽しい雰囲気で本件の性交が行われたわけである。

(3)  さらに、竹田幸子の司法警察員に対する供述調書によると、九月二五日以前から川北あや子は被告人から「乳にさわられた」とか「陰部に指を入れられた」とかの経験を持つていたと認められるのに、川北安喜の司法警察員に対する供述調書では、「娘は私を恐ろしいと思つているのか何も話してくれず、しいて聞きますと逃げ出します」とあり、また頼藤正人の司法警察員に対する供述調書には「前夜(一〇月一〇日の夜)はひげのおじさんの家に連れていかれておじさんのふとんに一緒に寝たことも話しましたが、くわしく聞こうとすると黙つてしまい、はつきり言いませんでした……」とあるように、それが父親や男の先生には話せない恥かしいことであると感じていたことが窺われ、その反面被告人宅に好んで出入りしていたのであるから、川北あや子が被告人に対して自覚的な性的積極性を持つていたことは明らかである。

(4)  原判決の認定では、精神薄弱児である川北あや子が単に「なついていた」という状態を利用して被告人が突然姦淫行為に出たかのようになるが実際はその二ケ月位前から二人の間には種々の前戯的な性行為が積み重ねられていたこと、川北あや子がそれを嫌うのでなく、むしろそれを求めるように被告人に近づいていたことなどが認められる。そして、竹田幸子の前記調書によると「しかし社会性は発達しております。会話は知能の低いわりには上手の方です」、「その子の生理は本年四月頃よりあつたと覚えております。」とあるように、川北あや子が性について何も知らないと見ることはできない。特に川北あや子の司法警察員に対する供述調書によると「パンツも脱ごうとしたので腹が立つて両手で押えました」とか「私はせんと言いましたが……」とあるように性交の知識がなかつたとはとても考えられない。前述のような親密な交際関係にありながら、パンツを脱がされるのを押えるということはその後に来るものを予知していたということである。また、される前に「せん」と言つたのは、それから自分がすることになる行為を知つていたということである。ただ、これらの供述は被告人から一方的にされたとして自己を弁護する後からの取り繕いであろうが、そうとしても、そのように性行為についての自発性を現わす言葉を使える川北あや子であることに変りはない。

(5)  そして、前記矢勝調書に現われた状況と対比して、一方的に姦淫されたかのような川北あや子の捜査官に対する供述は極めて信用性に乏しいものであるから、被告人の捜査官に対する供述を充分尊重して事実を認定すべきである。そうすれば、川北あや子が性交の社会的道徳的意味をあまり理解していなかつたとは言えるだろうか。同女が被告人との性交を拒否したであろうのに拒否する自由を行使できないような精神機能の障害を生じていたと見ることはできず、むしろ同女が自発的積極的に性交に応じたと見ることができるのである。

(三) 被告人には川北あや子の心神喪失についての故意がない。被告人の方で川北あや子が少し頭の足りない女であることは感じていたとしても、だから性交について正常な判断能力を全く欠いているという認識があつたと見るべきではない。また、同女が性交を拒否したいであろうが、今はできない状態だからやつてしまえという気持であつたと見るのも正しくない。同女が心神喪失状態にあることを知つているだけでなく心神喪失状態にあることに乗じて姦淫したのではない以上準強姦は成立しない。そして、本件被告人の行為をそのように見ることはできない。

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